「結婚願望がない」と「結婚したくない」は、別の話!理想の相手と出会うには?

「結婚願望」というものが、1ミリもありません。
結婚なんてしたくないし、「結婚に憧れる」なんていう感情が、全くないです。
私は30歳の男性ですが、これまでの人生で「結婚っていいな。結婚してみたいな。」っていう気持ちが芽生えたことなんて、一度もありません。
本当に「一度も」ありません。ただの一度もです。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-39.html
内閣府の調査によると、「結婚願望がない。したくない」と考えている人は、年齢が上がるにつれて、男女ともに増えています。
この奇妙な現象は一体?
てっきり逆だと思っていました。
年齢が上がるにつれて「早く結婚しなきゃ・・・」と、焦りが生まれるのかと思いましたが、どうやらそうではなさそう。
独身でいるのが好きで結婚する気がないのか?
「もうこの年齢だから・・」と、諦めているのか?
どっちのパターンもあり得るでしょう。
かく言う私も、結婚どころか恋人すら欲しいと思わないし、今までの人生で誰かと付き合ったことが一度もありません。
「結婚して、ずっと同じ人と暮らしていく」というのが、どうも受け付けない
日本人男性の平均寿命は、81.47歳。
日本の平均寿命はどれぐらい?
30歳で結婚したとして、そのあと「50年ぐらいずっと同じ人と生活しなければならないの?」と思うと、ゾッとします
「結婚した方がいいのか?」という問いに対しては、既婚者に聞けば「結婚した方が良いと思う」と答えるだろうし、独身に聞けば「結婚はまだいいんじゃない?」と答える確率が高いと思います。
人によって、立場や状況によって、答えは人それぞれだし、どれが合っている・間違っているとかは、ありません。
結婚したいならすればいいし、したくないならそれでいい。
それはそうなんですけど、それだと話が終わってしまいます。
昔は「結婚なんか。絶対にしたくない」と考えていましたが、最近になって考えが変わりました。
最近になって、こう思うようになりました。
だとしても、今は「結婚願望」なんてないし「結婚したくない」と、心の底からそう思います。
やりたいことをやって、自分を貫いていった先に出会う相手、そのときに初めて「結婚したい」という、「結婚願望」が芽生えるのではないのか?
「結婚願望がない」と「結婚したくない」は、別の話なんだなって。
何度でも言うけど、今のところは結婚願望なんて、全くありませんが。
「結婚って何?」その定義とは?

そもそも「結婚」とは何なのか?
「結婚」の定義を、確認しておきたいです。
Tiffanyのキャッチコピーで、眞木準さんによる言葉
「一人で生きていける人が、それでも一緒に居たいと思ったときにするのが、結婚」
「結婚とは何なのか?」このキャッチコピーが全てを物語っているのではないでしょうか?
これが答えなのではないでしょうか?
これが本質だと思います。
それを私の言葉に置き換えると、以下の通りになります。
「結婚とは、精神的に自立していて一人で生きていける人が、互いを支え合い、想い合う気持ちを持ったときに、初めてするもの」
自分軸を持ち、自分を貫いて、やりたいことをやって、その先に出会う相手。
そのときに初めて「結婚したい」という、「結婚願望」が芽生えるのではないのか?
っていうか「結婚願望」って何ですか?
「結婚願望」って何ですか?
順番逆じゃね?
結婚願望という「感情」が先にあって、それに沿って婚活や恋活をするのではない。
普通「婚活」といったら、以下のような行動をとって、出会いを求めますよね。
- 街コン
- 相席屋
- 結婚相談所
- マッチングアプリ
- 友人からの紹介
- 職場恋愛
- スポーツイベント
- 音楽フェス
- ナンパ
- バーやクラブの「出会いの場」
- 居酒屋やカフェなどの店員さんとの恋
- カフェや駅のホームなどの「偶然の運命の出会い」
そうではなくて、やりたいことをやって、自分を貫いた先に出会う相手。
その人と初めて「結婚したい」という「結婚願望」が生まれるのでは・・?
「結婚願望」って、何ですか?
「結婚したい」という「感情」が、先に来ちゃってますけど。
願ってるだけなんですか?
「自分軸を持ち、自分の頭で考えて主体的に行動したその先で、巡り合う相手」
そこで初めて「一緒になりたい」という「願望」が生まれるのでは?
やりたいこともやらず、何の勉強もせず、何の行動もせず、毎日「スマホだ」「ゲームだ」「SNSだ」「アマプラだ」「飲み会だ」「お買い物だ」って、ただ毎日何となくボケーっと過ごして、世間の流れに身を任せたまま日々の生活をし、やがて「運命の人」に巡り合える・・・のでしょうか?私はそうは思いません。
- 自分の内面を鍛える
- 自分軸を持つ
- 自分の頭で考える
- 主体的に行動する
これがスタートライン。
そこで初めて「本当の人生」が始まると思っています。
私はブログとYou Tubeで美容・メイクの情報発信をしています。
「男性が美容やメイクをする」というのは、「女性にモテる・よく思われる」といった観点から見て、非常に合理的で経済的で、効率の良い手段なんですよね

「メンズメイクは気持ち悪い!」と思う女性もいる一方で「美意識が高くて良い」「一緒にコスメを見に行きたい」と思ってくれる女性もいる。
こうして情報発信をしていれば、そういった「メンズメイク・美容に興味や好意を持ってれる女性と巡り会えるのでは?」という下心のもと、行動していいます。
今はどんな分野・ジャンルでも、必ず先行者がいて情報発信をしています。
スマホ一つであらゆる情報が手に入り、SNSでたくさんの人と繋がれて、気軽に新しいことに挑戦できるこの現代。
せっかくこの恵まれた現代社会に生まれたのだから、何かしら行動してみませんか?
「たまたま偶然知り合った、赤の他人同士」で結婚する?
既婚の社会人100人に聞いた「結婚相手と出会った場所」、最も多い回答は? マイナビニュース
「結婚相手と出会ったきっかけ・場所」を調査したデータがあります。
「社会人の男女100名」に「結婚相手との出会いの場」を聞いたところ「職場」と「知人の紹介」(ともに27%)が多く、次いで「マッチングアプリ」「学生時代からの友人」がともに12%で続いた。
結婚相手と出会った場所は「職場」と「知人の紹介」が、一番多いらしいですね。
マジか。
それでいいのか?そんなのでいいのか?
「職場の人」って「赤の他人同士」ですよね?
たまたま就いた職場で、たまたま知り合った人が「職場の人」ですよね?
そんな相手と結婚して「永遠の愛」を誓うんですか?
「職場」で結婚相手と出会う人が多いのは「共通の環境に身を置いて、人生を共有しているから」でしょね
誰でもそうですけど「プライベートの時間より、仕事をしている時間の方が長い」ですよね
そう考えると、プライベートで過ごす相手(友達・家族・恋人)より、職場の人と過ごす時間が長いですよね。
職場では多くの時間を同僚や上司と過ごし、共通の目標に取り組みます。
何回も顔を合わせるうちに、個人の価値観や趣味、性格などを深く知ることができるため、惹かれ合うことがあるのは自然な現象と言えるでしょう。
「困難なプロジェクト」や「真剣に仕事を取り組んでいる姿」に惹かれ合い、恋愛感情が芽生えるのは自然な成り行き。
ところが「職場の人」というのは「たまたま就いた仕事で出会った、赤の他人同士」
価値観も考えも趣味も嗜好も生まれた環境も、何もかもが異なる、赤の他人同士です。
もちろん「職場結婚」が成就して、上手くいく夫婦も居るでしょう。
「幸せな夫婦生活」を送っている人たちもいるでしょう。
「ネット恋愛」が増えたのがその背景にありまけど、今は何でもかんでも「ハラスメントだ。コンプラ違反だ」と言われる、恐ろしい時代。
「リスク」がありますよね。
「職場の人」は「たまたま就いた仕事で知り合った赤の他人」ですが、「知人」という存在も、似たようなものです。
たまたま生まれた場所で日常生活を送り、たまたま知り合っただけの、赤の他人同士です。
「知人からの紹介」で知り会った相手というのは、もう本当の意味で、いよいよ赤の他人です。
そんな「知人」から紹介された「赤の他人」と 「永遠の愛」を誓って、一生を添い遂げる。
そっちの方が無理があるのでは?
結婚相手と出会ったその「職場」というのは、心の底から本当にやりたいと思った仕事なのか?
転職したその先で、もっと素敵な相手と出会う可能性はあるのは?
「知人の紹介で出会った」って、その「知人」というのは、本当に自分のやりたいことをやって、その先で見つけた知人なのか?
「バーや居酒屋でたまたま知り合った人と結婚する」
「家が近いから&みんながそこに行きたがっているから」という理由で「何となく決めた進学先」で知り合った、学生時代の友達と結婚する
それって全員「赤の他人」ですよね?
生まれた環境も、生い立ちも価値観や考えも、経済状況も趣味も嗜好も、全く異なる「ただの赤の他人同士」ですよね?
「地元の友達」という存在すら、疑問ですもん。
だってそうでしょ?
「たまたま生まれた場所で、たまたま同じ学校だった」とか「たまたま近所に住んでいた」とか、それだけの関係ですよ?
もしもA市じゃなくてB市に生まれていたら、今度はそのB市で「地元の友達」ができるってだけの話で、価値観・考え方・家庭環境は全部違う、赤の他人ですよね?
年を取るごとに、どんどん価値観や生活環境が変わって、話が合わなくなってそのうち疎遠になるのが、自然な成り行きだと思うんですけど。
私は学生時代の友達や、かつてのバイト先の人とは全員縁を切ってます。話が合いません。
そんな人生でいいのか?
それを「運命の出会い」と解釈する人もいるでしょう。
その考えはとても素敵だと思います。
が、全ての物事を理屈で考えてしまう私にとっては「たまたま生まれた場所で、たまたま知り合った相手」
それ以上でもそれ以下でもありません。
「運命」とか、信じてないです。
もちろん「本当にやりたい仕事を通じて知り合った」とか、「心の底から共感できる仲間からの紹介」とかで、結婚相手に巡り合う人もいるでしょう。
だとしても、もう一度サイトから引用しますけど
結婚相手との出会いの場を聞いたところ、「職場」と「知人の紹介」(ともに27%)が多く、次いで「マッチングアプリ」「学生時代からの友人」がともに12%で続いた。
既婚の社会人100人に聞いた「結婚相手と出会った場所」、最も多い回答は?
27%って多くね?
どうも「何となく決めた仕事で出会った」とか「日常生活で何となく知り合った知人からの紹介」とかで、結婚相手を決めている気がする。
別サイトも調べてみましたが、「結婚相手と出会った場所」というのは、どれも似たり寄ったりですね。
結婚相手とはどこで出会える?積極的に足を運びたい場所と出会いの確率を上げる方法:婚活応援コラム- 結婚相談所・婚活ならオーネット
あーなるほど。
「社会人サークルで出会う」パターンもあるのか。
共通の趣味を持つ人や同じような価値観を持つ人が集まる社会人サークルは、結婚相手と出会える可能性が高い場所と言えるでしょう。サッカーやゴルフなどのスポーツ、カフェ巡り、語り合う会など、さまざまなサークルがあります。結婚後も同じ趣味を楽しめる可能性があります。
結婚相手とはどこで出会える?積極的に足を運びたい場所と出会いの確率を上げる方法:婚活応援コラム- 結婚相談所・婚活ならオーネット
「趣味が合う」というのと、「結婚相手として上手くやっていける」というのは、別の話なのでは・・・?
その趣味だって飽きていつかは辞めるかもしれない「趣味が同じ」だからこそ、こだわりが強くてお互い譲らず、喧嘩になるかもしれない。
スポーツ観戦が趣味だとしても、自分が応援しているチームや選手が、相手とは違うかもしれない。
カフェ巡りが趣味だとしても、カフェで出てくる食べ物や飲み物の好みだって、個人差がある。
でも相手に嫌われるのがイヤで、気を遣って、相手に合わせてしまう。
そのことに気付かない相手が「この人とは趣味が合う」と「勘違い」をしていまう。
とはいえ、何だかんだ「共通の趣味」はお互いに持っているし、話は弾む。
自分も相手のことは嫌いじゃないから、そんなこんなんで交際に発展し、結婚まで行き着く。
ところがフタを開けてみれば、夫として・妻として・家族として生活をしてみると「価値観の相違」が、出るわ出るわ。
人の価値観は変わっていくものなので、「お互いの共通の趣味」だって、そのうち飽きて辞めてしまうかも分からない。
「こんなはずじゃなかった」と、結婚してしまったことを後悔する・・・っていうパターンも考えられませんか?
ね?めんどくさいでしょ?
ひねくれ者を極めると、こうなります。
いや別に、ここまで散々言っておいて何ですけど「そういう出会い方が悪い」と言っているわけではありません。
「趣味が合う」という理由で結婚して、幸せな夫婦もいるだろうし。
- 「何となく」就職した職場
- 「偶然知り合った」知人
- 「たまたま参加した」社会人サークル
そんなので出会った相手を、人生の伴侶にしていいのかな?っていうのが、単純に疑問なだけです。
私は「居酒屋やバー・相席屋でたまたま出会った」とか「何となく就職した職場で」とか、「友人の紹介で知り合った、初対面の相手」のような「偶然の出会い」で結婚相手を選ぶ気は、毛頭ありません。
「結婚願望」って、何ですか?
「結婚したい」という「感情」が、先に来ちゃってますけど。
願ってるだけなんですか?
「自分軸を持ち、自分の頭で考えて主体的に行動したその先で、巡り合う相手」
そこで初めて「一緒になりたい」という「願望」が生まれるのではないでしょうか?
その相手と実際に結婚できるかは、また別の話ですけど。
「出会いの場」とは、世間が作り上げたもの

「出会いの場」というのは全て、世間が作り上げたものです。
- 街コン
- 相席屋
- 結婚相談所
- マッチングアプリ
- 友人からの紹介
- 職場恋愛
- スポーツイベント
- 音楽フェス
- バーやクラブの「出会いの場」
- 居酒屋やカフェなどの店員さんとの恋
- カフェや駅のホームなどの「偶然の運命の出会い」
特にマッチングアプリや結婚相談所、相席屋、街コンなどの存在意義が疑問です。
あれは「世の中が作り上げた出会いの場」ってだけで、それにただ何となく乗っかって「婚活」や「恋活」をするって・・・それでいいのか?って、単純に疑問に思うだけです。
人生がもったいない感じがする。
ちなみに私は、マッチングアプリ、相席屋、街コン、全て参加したことがあります。
2年ぐらい前は「出会いの場」にちょいちょい出向いて、それなりに女性と知り合って、食事やデートに行きました。
しかし、価値観が合わなかった。それもそのはず。
そんな「世の中が作り上げた出会いの場」で、人生の伴侶を決めていいのか?
そもそも、マッチングアプリや街コンで「この人良いな」って思った相手が居たとしても。
来週・来月・来年とかに、その人よりもっと良い人が現れるかもしれないし。
っていうのを考えると、やっぱりマッチングアプリや相席屋・街コンにお金や時間を使うべきではないな。
人生がもったいない。
「自分の人生に夢中になっている人」というのは、そんな「赤の他人同士がたまたま知り合うための、出会いの場」になんか行っている暇はありません。
そんな時間があるなら「自分のやるべき」ことに集中しています。
自分の頭で考えて、主体的に行動しています。
私は相席屋、街コン、婚活パーティーなどに全て参加した上で、この結論に行き着きました。
「実際にやったこともないくせに、文句を言っている」というわけではありません。
2年ぐらい前は、思考停止で高いお金(8000円とか)を払って、街コンや相席屋に行っていました。
「自分の人生に夢中になっている人は、相席屋や街コンなんて言っている暇なんてない」と言っておきながら、2年前の自分はバリバリ行きまくっていました。そっくりそのままブーメランです。
「赤の他人同士がたまたま知り合う場」である街コンや相席屋で出会いを求めるのではない
「主体的に行動して、自分を貫いた先で巡り合う相手」
そこで知り合った人と、初めて「結婚したい」という「結婚願望」が生まれる。
そんな人生を送りたい。
2年前の自分にも言い聞かせたいことですね。
結婚するときの理由が「他人軸」なのは、いかがなものか
- 街コン
- 相席屋
- 結婚相談所
- マッチングアプリ
- 友人からの紹介
- 職場恋愛
これらは全て「世間がつくり上げた出会いの場」「他人が考えた出会いの手法」です。
そういう「世間が決めた出会いの手法」で、結婚するかどうかを決めてしまうのは、何故なのか?
特に街コンや婚活パーティー、マッチングアプリなどがそうですけど「結婚しなきゃ。結婚相手を見つけなきゃ」という、ワケの分からない思考にどうして陥ってしまうのか?
その理由は、「他人軸」で物事を考えてしまうから
「結婚したい。結婚しなきゃ」と考える理由として
- 何となく好きになった
- 価値観が合いそうだった
- 1人が寂しいから
- 親を安心させたいから
- この人には「私」が必要だから
これらの理由に共通するもの。それは
全部「他人軸」なんですよ。
- 「この人」と、価値観が何となく合いそうだった
- 「この人」には、私が必要だと思った
- 「親」を安心させたいから
など、親や「結婚相手候補」といった「自分以外の他者」が主軸ですよね。
「一人が寂しいから」というのも、「自分の寂しさを埋めるために相手を利用している」ため、結局は「自分以外の他者」に焦点が当てられています。
そんな感じで、自分の中に確固たる信念や正義のような「自分軸」を持たず、相手が主体になってしまっている。
そうなると、「自分は何もしない」くせに、相手にばっかりメリットを求めるようになってしまいます。
相手に執着が生まれてしまう。
- 自分軸を持たず、相手に依存する
- 相手を理解しようとしない
- 勉強や自己投資をしない
といった「相手を理解する」とか「自己投資をする」といった行動を取らないと、いつか必ず相手に執着が生まれ、どんどん被害妄想が激しくなってきます。
主体的に行動しないと、他人の意見や期待に左右されやすくなってしまう。
自分の価値観を明確にし、それに基づいて主体的に行動する能力が大切。
構造上、人生が詰んでいるんですよ。
「自分の頭で考えない」「主体的に行動しない」というのは。
「何もしなかったツケ」は、いつか絶対自分に返ってきます。
時代背景とか関係なく、それだけは絶対に間違いない。
とはいえ、人間は理屈ではなく、感情で意思決定をする生き物。
理屈ではわかっていても、なかなかそれを実行に移せないでしょう。
それならせめて、明確な自分の意志を持って行動し、「自分軸」を持てるように、日常生活を送りたいですよね。
女性の場合は「出産における年齢的なリスク」もあるだろうから「早く結婚したい」という気持ちは分かります。
「子孫を残す」という本能が、人間にはありますからね。
「若くて健康なうちに、子供を産みたい」と考えるのは自然なことでしょう。
だからこそ、だからこそですよ。
我々男性は、主体的に行動して「自分軸」を持って行動しなければならないと、私はそう考えます。
「親がどうだ」とか「周りが結婚しているから」とか「世間体が」「体裁が」「メンツが」といった「他人軸」や「世間のため」で、結婚するかどうかを決めるのって、おかしくないですか?
あなたはどう思いますか?
いや別に結婚したいならすればいいですけど、それでも「何となく結婚しなきゃなー」ってボーッと考えるのが、個人的にイヤ過ぎます。
「他人軸」で物事を考えるのが、イヤ過ぎます。
「結婚する?しない?」は、自分で決めること

「結婚するか?しないか?」それを決めるのは、親や親戚、友人や職場の人ではなく、自分で決めることです。
他人の期待や社会的な圧力に影響されず、自分の価値観、目標、感情を真剣に考察し、自分にとって最良の選択をすることが重要
そのためには「自分と向き合う」必要があります。
結局「自分軸を持ちましょう」「やりたいことを見つけしょう」といった話に戻ってしまいますが、本質はそこにあります。
もちろん信頼できる友人、家族、「婚活アドバイザー」などの専門家に相談するのもいいでしょう。
しかし、最終的な決断は自分自身が担うべき。
言うなれば「究極の自己責任」です。
そういう時代になってしまいました。
今はあらゆる価値観が認められている「多様性の時代」ですが、これは言い換えれば「自分の考えや行動に責任を持て」ということ。
「自分の好きなようにしていいから、その代わり全ての責任は自分で取れ」ということ。
「そろそろ〇〇歳なんだから結婚しないと~」と、親が親戚が口を出すのは、余計なお世話です。
そんなこと言ってる人は、自分で何も考えず、何となく世間の流れに身を任せて、ただ毎日をボケーっと過ごしている、思考停止人間の言うこと。
相手にしないことです。

「俺(私)が、お前の年齢のときはな・・・結婚して、子供もいて、家も建てて・・」
とか言ってる親なんて、いつの時代の人なんでしょうか
あなた達の若い頃とは、時代が違うでしょ。状況が違うでしょ。
時代錯誤も甚だしい
親には親の人生がある。
子供には子供の人生がある。
家族といっても、所詮は他人です。
少し話は逸れますが、「結婚したくない」「結婚するかどうか迷う」といった発言をすると「親不孝だ」「親に恥ずかしくないのか」のような意見が飛び交います。
しかし、親といっても所詮は他人です。
自分の人生に、「親」が干渉してくる余地なんて、1ミリたりともありません。
ここでいう「他人」とは、「見ず知らずの赤の他人」という意味ではなく、「一人の人間同士」という意味です。
「他人」という言葉の定義を、ここで確認しておきます。
コトバンク
1 自分以外の人。ほかの人。「他人まかせの態度」「他人のことはわからない」
2 血のつながりのない人。親族でない人。「赤の他人」「遠くの親類より近くの他人」
3 その事柄に関係のない人。第三者。「内部の問題に他人を巻き込む」「他人の出る幕ではない」
「家族と言っても、所詮は他人」と言うと、まるで「家族を赤の他人呼ばわりしている」と、誤解を招く可能性があります。
私が言っているのは、1番の「 自分以外の人。ほかの人」のことです。
家族とはいえ、「自分」ではありません。
「自分以外の、他の人」です。
つまり、家族とはいえ「他人(自分以外の他の人)」だということ。
家族とか親とか親族といった「血縁関係」「血の繋がり」以前に、「一人の人間」「個」の存在です。
例えば「渋谷区在住の田中太郎さん」という人がいるとして。
父・母・姉の4人家族のもとに、長男として生まれたとして。
田中太郎さんは、「田中家の長男」である前に、「田中太郎」という一人の人間なわけです。
この「日本」という国に生まれた、一人の人間です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
つまり「長男なんだから嫁を貰わないと」とか、「実家の家業を継がないと」とか、「〇〇歳なのに結婚しないの?」とか「家を建てないの?」みたいな言い分は、今の時代通用しません。
重ねて申し上げますが、家族といっても、所詮は他人です。
ここでいう「他人」とは、「見ず知らずの赤の他人」という意味ではなく、「一人の人間同士」という意味です
家族である前に、一人の人間です
誰もが「家族」というコミュニティに所属をして、繋がりを持っています。
しかしその前に、人格があって、赤い血の通っている、一人の立派な人間です。
- 結婚の自由
- 思想の自由
- 職業選択の自由
など、憲法によって自由に生きることが保証された、「個」の存在です。
そのことが分かっていれば、「過干渉の親」「親依存の子供」なるものは存在しないはず。
「親を安心させるため」とか「親が結婚しろって言うから」とか「自分の兄弟は既に結婚しているから」とか、そんな「誰かのため・親のため」に結婚するなんて、間違ってます。
家族には、それぞれの人生があります。
自分の人生は、自分で決めないといけません。
誰のための人生なのか
「親を喜ばせるため」とか、「親戚に良い格好をするため」とか、「周りが結婚ラッシュで焦っている」など、そんな理由で結婚するorしないかを決めるなんて、ちょっと私には理解できません。
それは一体、誰のために生きているのでしょうか?
誰のための人生なんでしょうか。
誤解のないように申し上げておきますけど、「結婚するのが悪い」と言っているわけではありません。
私が言いたいのは、「親のため」とか「周りが結婚していて焦る」とか、そういった「誰かのため」や「他人軸」で物事を決めるのは、やめたほうがいいんじゃないですか?ということです。
私は、自分のやりたいことをやるために生きています。
「自分の知りたいことを、知りたい」
その「知的好奇心」を満たすために、生きています。
「自分のやりたいこと。興味があること」のために、真っ直ぐ前に突き進むのみです。
「自分軸」を持たないと、相手に執着が生まれる

自分の頭で考えず、自分の中に芯を持たず「内面を磨く」ことをしないと、いつか必ず相手に執着が生まれます。
「この人は私に何をしてくれるんだろう?」と、相手に依存してしまいます。
「相手に変わって欲しい」「こうして欲しい」とか言っても、それは無理ですよね。
他人の気持ちは自分にはコントロールできません。
相手を変えるより、自分が変わったほうが遥かに楽で、確実です。
「自分を変える」のも難しいのに、相手を変えられるはずがない
というか、「自分を変える」ことすら難しいですよね?
- 読書の習慣をつけたい
- 副業を始めたい
- ダイエットを始めたい
- 節約をして、家計を楽にしたい
- 筋トレをしてカラダ作りをしたい
- 禁煙して、健康でありたい
って、思うのはいいけど、それを実行しさらに継続して、習慣化できる人は少ないです。
何も日本人全員に「読書しろ」とか「副業をしろ」って話ではないですけど、それでも「自分を変えたい」という意志を持っている人は、少なくありません。
「今年こそは自分を変えるぞ!」と意気込んで「新年の抱負」なるものを毎年立てるのはいいけど、ほとんどの人は達成できない。
もう誰も覚えてないでしょうね、「新年の抱負」なんて
今は8月ですけど、今年の年明けに立てた「新年の抱負」って、覚えてますか?
8月どころか、4月ぐらいになったら「新年の抱負」なんて忘れてませんか?
別に新年じゃなくても、いつだって自分は変えられます。
しかし、そうやって自分を変えようとしても、なかなかそれを実行して継続できる人は少ないですよね。
私も「人生を変えよう。自分を成長させよう」と思い、日々精進している最中です。
「自分」すら、なかなか変えられないのに、どうして「相手」を変えられると思うんでしょうか。
「職場のあの人」や「旦那や嫁のここが悪い」「もっとここをこうして欲しい」と言ったところで、無理ですよね。
「他人」を、自分の思い通りに変えることはできません。
他人の気持ちは、自分にはコントロールできません。
「変わりたい」と思って、読書や筋トレ、ダイエット、副業に挑戦しても、なかなか続かない。
それどころか、実際にやりもしない。
「自分」すらなかなか変えられないのに、どうして「相手」を変えられると思うんでしょうか。
『7つの習慣』という、この世で最も有名な自己啓発本があります。
人生を変える・成功するために必要な「7つの習慣」が、その本に書いてあります。
「人生の答え」は、この本に全部書いてあります。
その根源となる考え方である「インサイド・アウト」
「自分の外部に原因や責任を求めるのではなく、自分の内面を変える。内面が変われば、自分の外側も自ずと良くなっていく」というのが、「インサイド・アウト」の考え方です。
その逆は「アウトサイド・イン」です。
何か問題が生じた時、「上手くいかないのは、○○のせいだ!」「〇〇が悪いからだ!」など、上手くいかない原因を環境や他人のせいにしがちですが、そんなことをしても現状は改善しません。
相手のせいにするのは楽なんですよ。
「自分は何もせず」に、承認欲求が満たされるので。
重ねて申し上げますが、今の不満や問題を「誰かのせい」「国のせい」「時代のせい」にしたところで、現状は何も変わりません。
自分の内側・内面を鍛えた方が、遥かに気持ちは楽になります。
自分にはコントロールできないもの、例えば
- 他人の気持ちや考え
- 世の中の情勢
- 近所の噂話
- ゴシップニュース
- 過ぎ去った過去
といった、「考えても仕方のないこと」に対する、どうでもいい執着が消えます。
これが「インサイド・アウト」の考え方です。
私は今のところ、SNSはやっていないし、地元の友達やかつてのバイト先といった「過去の人間関係」は全て断ち切り、LINEの友達は家族だけにしています。
LINEの友だちは、父・母・妹・叔父の、4人しかいません。
マッチングアプリもやってないし、飲みにも行かないし、ゴシップニュースなんか一切見ないし、どこかのコミュニティやオンラインサロンに所属しているわけではない。
そうすると、「どうでもいい他人の愚痴」や「しょーもない飲み会」に使う時間。
「何の価値も生み出さない、SNSやゴシップニュースをダラダラ見ている時間」などがなくなり、「世の中の情勢」や「他人の気持ち」といった「自分にはコントロールできないもの」に対する悩みや執着が、消えます。
もう一度言いますが、「自分の外部に原因や責任を求めるのではなく、自分の内面を変える。内面が変われば、自分の外側も自ずと良くなっていく」というのが、「インサイド・アウト」の考え方です。
私はSNSで誰かを批判したり、どうでもいい飲み会で、会社や上司の愚痴を言っている暇はありません。
「インサイド・アウト」の考え方に従って、自分の内面を鍛え、「今やるべきこと」「自分にできること」に集中しています。
それがさらに「影響の輪」と「関心の輪」に繋がっていきますが、そんなことをいちいち書いてたらキリがないので、もし興味があれば記事を読んでみてください。
「相手のせいにするな」とか「自分の軸を持て」と言われて、「そんなのは綺麗事だ。理想論だ」と思うのなら、あなたはこの「インサイド・アウト」の考えを持っていますか?
結婚している方や「結婚願望」がある人に聞きたいです。
「自分の中に何かしらの軸を持って、自分の頭で考えて、主体的に行動しているんですか?」と。
そうやって自分の内面を鍛え、やりたいことをやって、自分を貫いた先に出会う相手、その人と初めて「結婚したい」という「結婚願望」が生まれるのでは・・?
「自分軸を持たず、相手が主体になっている」とか、「何となく価値観が合いそうだった」などの理由で結婚した場合、いつか足元掬われます。
いや結婚した当初はいいんですよ。好きで一緒になったわけだし、最初は幸せでしょう。
しかし、人の価値観は変わっていきます。
時代も変わります。
夫婦なんて、赤の他人同士です。
男と女は、別の生き物です。
にも関わらず、結婚式で「永遠の愛」を誓って、向こう数十年をともに過ごしていく・・・
「結婚制度」って、人間の本能や「移り変わる時代」と、マッチしていないのでは・・・?
結婚を決めるときの、最大の理由
さて、極めてシンプルな話ですが、結婚するときの理由は「その人のことが好きだから」ですよね
調べてみたところ、目の前に好きな人がいて「この人と一緒になりたい」というのが、「結婚を決めた最大の理由」とのこと。
この辺のサイトにも書いてありますね。
「結婚を決めた最大の理由」は、「これから先もずっと一緒にいたいと思ったから」
それはとても素敵なことだと思います。
というか、それが一番幸せでしょうね。
「好きな人がいて、一緒になれる。」
人間として、これ以上の幸せはないでしょう。
人間に備わっている最大の本能である「子孫を残す」
その本能に従って、自身の遺伝子を残すには「最愛の相手」が必要になります。
だから結婚して、子供を作るわけですね。極めてシンプルな話です。
「3組に1組は離婚している」という事実
しかし「屁理屈マシン」である私は、これでは終わりません。
「結婚してゴールイン。お幸せに~☆」じゃ、無いんですよ。
まず結婚することを「ゴールイン」と呼びますけど、「ゴールイン」じゃないですよね。
「ゴール」じゃなくて、「スタート」でしょ
例えば30歳で結婚するとして。
平均寿命である80歳までの、約50年間の夫婦生活が始まる「スタートアップ」ですよね。
なんで結婚することを「ゴールイン」って言うんだ。

こういうのか?
こういう画像に憧れて、「幸せな夫婦生活」を想像するのか?
テレビやドラマ、映画・漫画に洗脳されてませんか?
なんですか?「幸せな夫婦生活」って。
最初だけでしょ、そんなの。
結婚式で誓う「永遠の愛」って、あれシンプルに嘘ですよね?
何ですか?「永遠の愛」って。
ないでしょ、そんなもの。
いや結婚した当初はいいんですよ。好きで一緒になったわけだし、最初は幸せでしょう。
もう一度言いますが、夫婦なんて赤の他人同士です。
人の価値観は変わっていきます。
男と女は、別の生き物です。見てる世界が違うんです。
それが当たり前です。どこまでいっても分かり合えません。
まぁ子供がいれば、話はまた変わってくるんでしょうけどね。
「自分たちの分身」を、夫婦水入らずで育てれば、自ずと絆や愛が芽生えるのでしょう。
しかし子供だって、いつかは巣立っていきます。
あなたの子供である前に、この国に生まれた、血の通っている、立派な1人の人間です。
結局、自分の人生は自分で掴み取るしかないのでしょう。
男と女は、別の生き物。
どこまでいっても分かり合えません。
その証拠といったら何ですけど、日本の夫婦の離婚率は30~35%
個人的に、この数字は高いと思います。
んーこの。
離婚する原因の第一位は、男女ともに「性格が合わない」とのこと。
そりゃそうだわな。だって夫婦なんて、他人だもん。
唐突ですが、「ハインリッヒの法則」ってご存知ですかね。
ハインリッヒの法則とは
「ハインリッヒの法則」とは
「ハインリッヒの法則」とは、労働災害の分野でよく知られている、事故の発生についての経験則。1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れているというもの。「1:29:300の法則」とも呼ばれます。
労働災害の話ですけど、これは要するに「実際に起こった事故」の裏では、『事故になりそうな事象』がたくさん起きている」というものです。
「ヒヤリハット」ってやつですね。
そしてこれを「離婚」に置き換えると、「実際に離婚に至った夫婦の裏では『離婚寸前にいる冷めきった夫婦』が、たくさんいると。
統計を取ったわけではありませんが、現にいるでしょね、「離婚はしてないけど、冷めきった関係の夫婦」は。
「日本の夫婦の3組に1組は離婚している」
じゃ、残りの3分の2の夫婦は?
その3分の2のうち、離婚に至らずとも、冷めきった関係の夫婦も、3組に1組ぐらいはいるんでしょうか?
ってことは、3組に2組は、離婚したり冷めきった関係になってしまっているということ?
過半数の夫婦は、良好な結婚生活を送れていないってこと?
「結婚制度」とは?一体
それにしても、「3組に1組は離婚をしている」という事実に、驚きを隠せません。
「離婚をする」というのは、多大な労力と時間がかかりますよね。
その選択をわざわざ取るということは、よっぽど何かがあったんだろうな。
私は離婚どころか結婚どころか、異性と付き合ったこともないですけど、それぐらいは分かる。
離婚の手続きは、大変だと。
結婚式で「永遠の愛」を誓ったにも関わらず、そんな膨大な手間と時間と労力をかけて、あえて「離婚」という選択を取る。
逆に良いと思います。
冷めきった関係になってしまったにも関わらず、お互いの文句ばっかり言って「何も行動しない」夫婦より、よっぽど素敵です。
何事も、実際にやってみないと分かりませんからね。
結婚だって同じです。
実際に結婚してみるまで、どうなるのか分からない。
男と女なんて、どうなるかわかったもんじゃない
子供がいるなら、もちろん相応の責任を取る必要はありますが、離婚したいなら、離婚すればいいと思います。
そもそも「赤の他人同士」が「永遠の愛」を誓って、一生を添い遂げる前提の「結婚制度」自体が、人間の本質とマッチしていないと思いますよ。
とはいえ、3分の2ぐらいの夫婦が離婚したり「冷め切った夫婦仲」にあるということは、逆に言えば、残りの3組に1組が「円満な夫婦」ってことか。
誰か人生変わってください。
私も円満な夫婦関係を築きたいです。
いや無理だな。
結婚なんて、したくない。
「結婚したくない人」もいる。「結婚したくても、できない人」もいる。
私みたいに、あーだこーだ屁理屈こねて「結婚したくない」とかピーチクパーチク言っている、どうしようもない人間もいます。
私の場合は「結婚したくない」という明確な意志を持っており、現にその価値観に従って生きています。
マッチングアプリ・街コン・相席屋といった「出会いの場」になんて行かないし、クラブやバーにも行かない。
今はブログとYou Tubeに手一杯なので、そもそもそんなところに行っている暇はない。
しかし、その一方で「出会いがない」「収入が不安定」といった理由で、「結婚したくても、できない」という人もいるでしょう。
気の毒だとは思いますが、私一個人では解決できない問題です。
- 結婚したくて、願い通りに結婚できる人がいる
- 結婚したくても、できない人もいる
- 結婚したくないのに、モテモテで恋人が途切れない人もいる
- 結婚したくなかったのに、「運命の人」に出会って結婚した人もいる
- 「結婚したくない」という意志のもと、その通りに結婚しない人もいる(非婚といいます)
- 結婚したのに、結婚したことを後悔する人もいる
- 離婚する人もいる
- 再婚する人もいる
「結婚したいけど、できない人」がいる一方で、「結婚したくないのに、恋人が途切れない人」もいます。
格差は広がっていく一方ですね。
昔はお見合いや許嫁で、そもそも「結婚をしない・できない」なんて、あり得ませんでした。
結婚するのが当たり前の時代でした。
ところが現代では、結婚しても、しなくてもいい。
賛否両論ありますが、「事実婚」という第3の選択も、あるにはある。
「結婚するか?しないか?」
それは他の誰でもない、あなたが自分自身で決めることです。
とはいえ、「結婚するかどうかを自分で決められる」というのは、恵まれています。
昔は「お見合い」や「許嫁」の制度により、結婚相手は親や家系で既に決められていました。
「どの家で生まれた?」で、既に自分の人生が決まっていたんですよ?
そんなのイヤじゃないですか?
「何でもできる」からこそ、「何もできなくなる」

「結婚してもいいし、しなくてもいい。自分の人生は自分で決める」
あらゆる価値観や生き方が認められ、自由に選べるようになったのは素晴らしいことですが、それは同時に多くの悩みを生み出しています。
多様性の社会に移行し、あらゆる選択肢が増え、現代人はあらゆる悩みの渦に呑まれています。
「選択のパラドックス」と言ったりしますけど、選択肢が増えれば増えるほど、逆に選べなくなってしまいます
選択のパラドックス(the paradox of choice)とは、現代の自由主義の社会においては選択肢が多いほど人は不幸を感じやすくなるという心理作用のこと。
「選択の自由のパラドックス」
現代社会では選択肢が多くなると無力感を感じて選ぶのが難しくなり、選択した後も「他の選択肢の方が良かったのではないか」という後悔が残って満足を得にくい、というものである。
選択の際にはより多くの時間が必要となり、他の有意義なことに費やせたはずの貴重な時間の消費も満足度を下げてしまう。
シマウマ用語集
「選択のパラドックス」の具体例としては、「ジャムの法則」が有名ですね。
- スーパーマーケットに買い物に来たお客さんに、ジャムの試食販売をする
- 被験者を2グループに分け、それぞれで取り揃えるジャムの種類の数を変えて、どれだけ売れたかを観察する
グループA
6種類のジャムを試食販売グループB
24種類のジャムを試食販売一見すると選択肢の多い「24種類のジャム」が売れそうですが、結果は「6種類のジャム」を販売したグループの方が売上が高くなりました。
https://asu-yoku-laboratory.com/jam-study
- 24種類は多すぎて全部試食することができない
- 多すぎる選択肢から一つ選ぶのは、脳に負担がかかる
- 「これがいいかな?」と思っても「他にもっと良いものがあるのでは」と、考えてしまう
このことから分かるのは「選択肢が多ければ多いほど、迷いが生じてしまい、逆に選べなくなる」ということ。
というか普通に考えて、スーパーにジャムを買いに行って24種類もあったら、そりゃ選べなくなりますよね。6種類に絞って欲しい。
そしてこれを「現代社会」に置き換えると、今は無料で良質な情報が手に入り、何でも気軽に挑戦できる、恵まれた時代。
今はどんな分野・ジャンルでも、必ず先行者がいてSNSやブログなどで情報発信をしています。
現代はスマホ一つであらゆる情報が手に入り、SNSでたくさんの人と繋がれて、気軽に新しいことに挑戦できる「人類史上、最も豊かな社会」です。
だからこそ、「何にでも挑戦できる」からこそ、「逆に何をしたらいいか分からない」という「自己実現迷子」に陥っている人が多いです。
「結婚するか?しないか?」も、同じです。
「結婚してもいいし、しなくもいい」
良く言えば「自由」
悪く言えば「究極の自己責任」
結局、自分の人生は自分で決めるしかないのでしょう。
そこから逃げてしまったら「自分は何もしないのに、文句や批判ばかりする、どうしようもない人間」になってしまいます。
そうはなりたくないので、私は「主体的に生きる人生」を選んでいます。あなたはどうですか?
「自分の人生を、自分で選べる」というのは、とてつもなく恵まれている状況だと思いますが、あなたはどう思いますか?
自分のやりたいことをやる。自分の人生を生きる

「毎日の積み重ね」で人生は決まっていきます。
- 「今この瞬間」を一生懸命生きるか?
- 「一秒一秒を無駄に過ごすか?」
「人生をどう生きるか?時間をどう使うか?」それを決めるのは、親や会社、友達や上司、国や政府ではありません。
全て自分で決めることです。そういう時代になってしまいました。
「結婚願望がない」と「結婚したくない」は別
「結婚願望」というものが、1ミリもありません。
結婚なんてしたくないし、「結婚に憧れる」なんていう感情が、全くないです。
これまでの人生で「結婚っていいな。結婚してみたいな。」っていう気持ちが芽生えたことなんて、一度もありません。
「結婚願望」なんてないし、1ミリたりとも「結婚したい」なんて思いません。
何故かは分からないけど、それだけは絶対に揺るがない価値観です。
しかし「一生結婚をしない」という選択肢を取っているわけではないと、最近になって思うようになりました。
やりたいことをやって、自分を貫いていった先に出会う相手、そのときに初めて「結婚したい」という、「結婚願望」が芽生えるのではないのか?
実際にその人と結婚できるかどうかは、別として。
今は「自分のやりたいこと」「自分の人生を生きる」ために「日々の積み重ね」をするべき。
- 週一の読書
- ブログも書く
- You Tubeをやる
- 筋トレ
- 日記をつける
- 『東洋経済』の雑誌で、世の中の情勢についての勉強
- 美容・メイクの勉強
- 「ウェブ職TV」のYou Tubeで、AIやブログ運営の勉強
- You Tubeの運営の勉強
- デザインの勉強
などなど、全部自分の意志で決めて、主体的に行動しています。
そして、ほとんど失敗に終わっていますが。
自分の思った通りになんていきません。失敗するのは、当たり前です。デフォルトです。
「やるべきこと・やりたいこと」は、まだまだたくさんあります。
「恋愛なんてしている暇がない」というのが、本当のところなのかもしれません。
そうやって自分の頭で考えて主体的に行動し、やりたいことをやって、自分を貫き通した先で出会う相手、そのときに初めて「結婚したい」という、「結婚願望」が芽生えるのではないのか?
実際にその相手と結婚できるかどうかは、別として。
こんな「内向的で、内気で、人見知りで協調性がなくて、常識をこじらせた陰キャ人間」の私と「結婚したい」と思ってくれる女性は、果たして現れるのか?
という最大の問題は別として、とにかく今は「自分の人生を生きる」ために、真っ直ぐ突き進むのみ。
この先の未来がどうなるか分かりませんが、だからこそ面白い
「誰かの敷いたレール」に乗っかって生きるだけの、昔とは違います。
「未来が決まっている」より「未来がどうなるか分からない」方が、ワクワクしませんか?
可能性は無限大ということですよ?